 政令市?(その1)
いつどこで決まったのか(前)
2003年4月に清水市は静岡市と合併し新「静岡市」となった。合併を決定するなかで、「政令指定都市を目指すための合併」であると説明された。しかし、合併協議会は、両市の合併を検討する場であるという理由で、政令市についての議論は行われなかった。
合併から二ヶ月になる現在、審議会で区割案が合意するなど、政令市に向けた準備が慌ただしく進められている。政令市を目指すことは、いつどこで決まったのか、私たち市民に対してどのように説明されてきたのか、これまでの経過を追ってみる。
「2001年元日を誕生の日にする」
90年(平成2年)11月、静岡経済同友会が主催したシンポジウムに出席した宮城島弘正清水市長と、天野進吾静岡市長は「2001年元日を政令指定都市誕生の日」とすることで意見の一致をみた。
91年5月に、清水と静岡の両青年会議所(JC)は、「兄弟仁義」が流れる神前で契りを交わし、静清合併の先陣を切る誓いをたてた。合併後の名称は「ストロベリーJC」が有力であることも伝えられた。
91年7月には、静岡市で、中部県政懇話会や静岡経済同友会などが呼びかけ「中枢都市づくり研究会」が発足した。清水でも、9月に、大内胖自元市議会議長が中心になり「広域都市構想研究会」が結成された。
このように、90年から91年にかけて、行政や経済団体などが静清合併と、それに続く政令市実現をアピールしたが、清水市と静岡市の姿勢は同じではなかった。
清水市と静岡市 異なる姿勢
静岡市は天野進吾市長が90年に策定した第7次総合計画で、「地方中枢都市(政令指定都市)の実現」をまちづくりの方向として掲げている。しかし、「2001年元日を政令指定都市誕生の日」とするような内容は、総合計画のなかには見られない。政令市の文字も括弧づけで、控えめに書かれているだけだ。
その後、小嶋善吉市長が99年に静岡市が策定した第8次総合計画でも引き続き「地方中枢都市」が目標として掲げられているが、第7次計画には括弧付きで書かれていた「政令指定都市」の文字は消されている。
清水市は、宮城島弘正市長が89年に「国際海洋文化都市」をテーマにした第3次総合計画を策定した。しかし、政令指定都市も、地方中枢都市も清水の総合計画には出てこない。
静岡県の慎重な態度
一方、静岡県では、92年に斉藤滋与史知事が静岡県新総合計画「中期発展プラン」を策定している。
静清庵地区での「中核都市圏の確立」を基本方向としながらも「地域における政令指定都市に向けた動きには、その動向を見守りながら適切な対応を図ります」と極めて慎重な姿勢を取っていた。
90年から91年にかけて、マスコミは行政や経済団体などが政令市実現に向けて動き始めたこと伝えたが、行政の指針となる総合計画で明確にされたものではなかった。そればかりは、当時の県は、静清両市の動きを牽制するかのような態度を示していた。
(03年5月18日)
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