変わらない景色

江尻船溜まりから見る富士山。皿を被せたような構造物は地下に埋められたLNGタンクの頂点。LNGタンクは球形で、ほとんどが地下に埋められている。清水は港を中心とした工場と、風光明媚な観光地という両方の顔を持っている。だから、無粋なタンクの向こうに霊峰富士が見えても、違和感を感じない。逆に、港と漁船とタンクと富士という構図に「清水らしさ」を感じる。
富士山の頂が白くなりはじめてきた。山頂の有人測候所がなくなり、初冠雪の観測が下界からの目視になった。その便りを待ちかねている訳でもないが、これまで積雪何センチという明確な証拠が示されていたので、それに比べて便りの鮮度が落ちたような気になる。
でもよく考えると、いろいろな事柄が数値で示され、それが評価の基準になっているような時代の流れに逆行しているような、下界からの目視による判断を、大きな拍手で歓迎すべきなのかもしれない。

江尻船溜まりから清水を囲む山々を見る。画面右の遠くに見えるのは南アルプス。画面左は竜爪山。伊能忠敬の記録には「竜窓山」と書かれている。
友人達と郷土の歴史を、聞きかじり学ぶようになってから、何気なく見ていた山や川や海岸が、時代のなかでどう変化してきたのかが気になるようになった。自転車を走らせながら「ここは昭和の始めに造られたから、それまでは沼地だった」などと、にわか仕込みの知識を復習したりしている。
空気が澄み山々の緑がはっきり見えると、嬉しくなる。いままでも感じていたことだが、このごろ感じ方が強くなってきた。「この海や山を伊能忠敬や徳川慶喜や山岡鉄舟や次郎長も見ていたのだ」と思っただけで、我が郷土を誇らしげに思う。そんな気持で、まちの景色を眺めることができるようになったのは郷土史に親しむようになった成果かもしれない。

袖師中学の近くにあるみかん畑。秋の深まりで色づくのは落葉樹だけではない。