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2009年10月12日 袖師

愛染川の自転車

愛染川

愛染川とJR東海道線の鉄橋。小魚がたくさんいるらしく、小さな波紋があちこちに広がっていた。

家から、港湾道路にあるジャンボエンチョー(ホームセンター)に自転車で出掛ける時、市内電車の線路跡を利用した遊歩道を走る。車の往来を気にすることなく、のんびりと走れるのがいい。とはいっても、自転車で数分の距離なので、あっという間に着いてしまう。

愛染川

サドルを1番低くしてあるのが可愛い。自転車2台に靴が3足。ひとりは妹かもしれない。

愛染川を越えた所に、自転車が2台置いてあった。自転車の形から低学年の児童だろうか。それだけなら、気になることもないが、自転車の脇に靴が揃えて置いてある。辺りを見渡しても人影はない。そのままペダルを踏もうとしたら、笑い声が愛染川の方から聞こえる。

振り返ると、川底で遊ぶ裸足の子ども達がいた。川底といっても、子どものくるぶしぐらいの深さしかない。写真を撮りたかったが、顔見知りではない女の子たちだったので、遠慮した。線路沿いの道を自転車で走りながら、自分の幼い頃の記憶が重なり、和やかな気持ちになった。昔も、今も、遊び心の根っこは、そんな違っていないのかもしれない。

大根の葉

車1台分ぐらいの広さの畑に聖護院大根(丸大根)が植えられていた。この広さでも、家族が食べきれない野菜が採れる。

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「愛染川の自転車」へ届いたコメント

線路から下流は濁っていますが、線路から上流は澄んで、小魚が見えます。

小学生の頃の記憶だと、線路沿いに蓮根畑があって、踏切のそばに平和食品の工場がありました。その頃、公民館裏の愛染川でザリガニを釣ったのを覚えています。まだ、川の両側がコンクリートになる前でした。

昭和一桁の世代は、東燃運河で泳いだみたいですね。埋立てた工場の側はコンクリでも、反対側は昔と同じ砂浜だったようです。

あの川で、川遊びというのが信じられないです。高度経済成長の頃はほんと汚かった。まあ、電車も走ってたし、人影も多かったけど。玉川楼主人のホームページを読むと、僕の上の世代だと川遊びできたらしいのですが。
愛染川がきれいになって、興津川はどうなったんだろう。庵原川では今も沢蟹がとれるんでしょうか。旗打川の上流で泳いだ記憶もあるのですが、もう無理かなあ。

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