筍の季節

筍は全部を掘るのではなく、来年のために竹として残す物を決めておく。
中河内の友人に招かれて筍掘りに仲間たちと出掛けた。友人から誘われて、この山に初めてきたのは三年前の今頃だった。初めての筍掘りに悪戦苦闘しつつ、友人が用意してくれた猪肉や、採れたての山菜の美味しさに感激した。その年から仲間たちの年中行事になった。

初めて、この竹林に来た時、筍を生産するための畑であることが判った。それまでは山に勝手に生えてくる筍を掘るのだと思っていた。畑として管理するためには、季節ごとの手入れが不可欠だ。
友人の説明では、先端が緑色になった筍は出荷しても値段が半値ぐらいにしかならないそうだ。地表に先端が出ていない筍が高級品だという。それを掘るには、わずかな地面の盛り上がりなどから探し出すしかない。先端が出ている物ですから、目印をつけてもらわないと素人には見つけられなかった。地表に出る前の筍を見つけるのは職人技である。

筍は真っ直ぐに生えてくるのではなく、少し反っている。ゆるいカーブに合わせて鍬を入れるのだが、場所によっては筍の周囲に竹の根が絡まり簡単に掘らせてはくれない。
筍は親となる竹の根が地中を四方に伸び、そこから地表に向って伸びた新芽である。種から生まれた物ではないから、親のクローンとも言える。親竹の節の数と同じ数が、筍の皮になり、それが育つと同じ節をもった竹となる。縁起物として竹が描かれてきたのは、子々孫々まで同じ節目を持つ、不思議な植物への憧憬かもしれない。

皮を剥くために筍を縦半分に切り、根の部分も切り落とす。ビロードのような皮の感触がなんともいえない。
山から掘ってきた筍の皮を剥き、糠と一緒に釜で茹でる。薪の燃える臭いと煙があたりに立ちこめる。子どもたちは煙に閉口しているようだが、私にとっては小学生の頃の懐かしい思い出が蘇る。もっとも、小学生だった時には、薪で湯を沸かすことが重労働で苦手だった。子どもにとって、薪の煙が苦手なのは今も昔も変わらない。

江戸時代、中河内は小島藩の領地だった。中河内の西隣となる西河内は天領として、和紙や炭を府中や江戸に送り出していた。
野球帽を被ったこの子たちが、何十年後に筍掘りに出掛け、薪で湯を沸かしたら、意味不明の話で盛り上がり、笑っている親たちの気持ちが判ってくれるかもしれない。
残念なのは、その時に私たちは、この地上にいないか、いたとしても山道を歩く体力が失われているということだ。だが、それを悲観することはない。受け継がれる記憶は目に見えない地下茎でつながっているものだ。
「筍の季節」へ届いたコメント
私が小学生の頃、嶺温泉の近くで筍掘りをした記憶があります。
我が家だけでなく、何軒かの家族と一緒でした。
筍の皮をしごいてから梅干しを挟み、しゃぶったのも
その頃です。
磯 | 2009年04月13日
素敵な年中行事ですね。
私がおすそ分けする必要はありませんね!
子供たちは きっとで貴方と同じ事をしてくれるでしょう。
素晴らしい事です。
お互いに「長生き」しましょうね。
30年先に「筍堀り」が出来ますように・・・
鹿島山 | 2009年04月13日