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2009年04月02日 袖師

袖中と神明宮

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袖中50周年の記念テレホンカード。この頃は、記念品としてテレホンカードが定番だった。

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上の写真は袖師中50周年記念誌「一葉松」に掲載された昭和30年の体育祭の写真(一部)である。「そでし中」と人文字を描いている。

校舎やバックネットは現在と同じ場所にある。校舎の裏側に広がる森は神明宮だ。森が大きく、校舎に隣接しているように見える。

記念誌の説明では、「神明宮の境内は東名高速道路のアクセス道路として三分の一が削り取られた」という。学校から神明宮の間に片側3車線の道路が走っているが、道路の部分は神明宮の境内だった。

東名高速の富士~静岡間の部分開通は昭和43年(1968)で、私の在学中には道路はなかった。清水インターのある場所は一面の畑で、そこを走って山原山に登ったのを覚えている。

袖中のマラソン大会は、学校から嶺保育園に向い、そこから川口鉄工に向って曲がり、庵原川の土手を走って、砂利山から嶺温泉の狭い道を走って学校に戻っていた。

この辺りの記憶はかなり鮮明なのだが、神明宮の境内が学校の近くまであったのは曖昧だ。たぶん、神明さんで遊んだことがなかったと思う。西久保に暮らす子どもたちにとって秋葉山と鹿島さんは遊び場だったが、それ以外は縁が薄かった。テリトリーのようなものかもしれない。

●昭和30年袖中体育祭写真全景≫

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