テトラポットの記憶

清水駅から興津駅に向かって国道を行く。横砂と興津の境目になる波多打川を越え、清見寺を過ぎると右手には、その昔ボウリング場があった。移り変わりの早い業界の定めで、ボウリング場は内装だけ替えヤオハン興津店となった。さらに、ヤオハンが撤退し建物は解体された。次に作られたのが、24時間営業のマックスバリュー、イオン系列のスーパーマーケットである。

スーパーの裏手は清見潟公園に続き、すぐ東に興津の新しい公民館(生涯学習交流館)が見える。2月の寒桜まつりではたくさんの人で賑わった。きれいに整備された公園を海側に歩くと、工事中の新興津コンテナターミナルが広がる。
土に埋もれたテトラポットが、かつてここが波打ち際だったことを思い出させてくれる。もうずいぶん前のことだが、この辺りで採った貝を貰って食べたことがある。テトラポットの底に潜って採ったという。
シッタカ、カメノテなど磯物(いそもん)と呼ばれる小さな貝だ。味噌汁に入れると磯の香りが立つ絶品だった。土に埋もれたテトラポットの底には、ささやかな記憶が閉じ込められている。

寒桜の花が散り、葉桜になっていた。赤みがかった葉が、成長するにつて鮮やかな緑色に変わる。
「テトラポットの記憶」へ届いたコメント
旧ヤオハン周辺は壮大に埋め立てられたんですね。
写真の場所は自分も昔素潜りで貝やらウニやら採ってました。
埋め立ての関係か波が荒い日はちょっと怖かった思い出があります。遊泳禁止でしたしね(笑)
自分が子供の頃はすでに海水浴場は埋め立てられて飛び地のように浜が残っているだけの状態だったので、袖師の海水浴場に臨時駅等を使って泳いだ思い出のある方々がとてもうらやましいです。
AN | 2009年03月12日
私が子供の頃は、テトラボットなどなくて、一面の砂浜でした。
浜には、貝やつぼ・蟹・魚が取りきれないほど居ましてね。夏は潜って捕っていましたから、いつも満腹でした。(笑)
時々チンチン電車のバンバーにただ乗りして浜まで行きましたっけ!
鹿島山 | 2009年03月11日
子供の頃、夏休みはよくこのテトラポットで遊びました。
袖師の赤灯台のテトラポットにはしょっちゅう行っていたので、興津まで自転車で行くのはちょっと遠征気分でした。
さらにさかのぼれば、清見寺のすぐ足元から磯が広がっていた風景も、かすかに記憶しています。
砂に埋もれたテトラポットは、なんだか『猿の惑星』の自由の女神の場面みたいですね。
真丹後 | 2009年03月09日
南沙織が来たのでしたか・・・。これは凄いです。
興津川の河口すぐ、今は健康ランドになってしまった
ところにも、ボウリング場がありましたね(確か)。
あと、折戸にもありました。ボウリング場の跡地は、
スーパーなどに変身したのが多かったのですが、
折戸のボウリング場は風と共に消えました・・・。
磯 | 2009年03月09日
「マリンボウル」ですね。オープンの時に当時大人気だった南沙織が来ました。レーンの奥に立ち歌ってくれましたが、よく清水のボウリング場に来てくれたと思います。テレビで見るのと変わりなくとてもキュートでした。
小梅 | 2009年03月09日