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2008年04月15日 白黒写真の時代

光安丸(1)

ドッグ入りした第六光安丸

1957年(昭和32)1月、下田ドックで船首部分を改装中の第六光安丸。通称は「ロッコウアン」だった。赤坂ディーゼルの160馬力を積んでいた。

父宛に今年も「光安会」の案内が届いた。「光安会」は、出光興産清水支店に所属していた小型タンカー「光安丸」の乗組員を中心にした会社のOB会である。毎年一回集まりが持たれている。これまでは西伊豆の堂ヶ島が多かったが、今年は焼津で開かれる。

ドッグ入りした第五光安丸 

第六光安丸は総トン数80トンと小型だったが、第五光安丸(ゴコウアン)は250トンだった。その後に造られた第拾五光安丸は500トンである。△のなかにSIの文字が見えるが、これが出光のマークだった。SIは社長のイニシャルである。

袖師船溜りに、出光興産の油槽所があった。清水支店に所属する出光の小型タンカーが何隻があり、千葉県五井や瀬戸内海の徳山などにある出光の大型基地から油を運搬していた。

船の名前は「光安丸」である。終戦直後の1949年(昭和24)に、父が出光の社員となり、「光安丸」の乗組員となった。それまで、生まれ育った西伊豆で鰹船に乗り、戦争中は貨物船で南方の島々を移動している。

出光油槽所

「光安会」の案内が届いた翌日、湾岸道路沿いにある出光の油槽所を訪ねてみた。コンクリートを剥がす工事が行なわれていた。時代の流れと言ってしまえばそれまでだが、記憶が削り取られるような痛みを感じた。

出光の文字が微かに残っていた≫

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「光安丸(1)」へ届いたコメント

袖師陸運さん、はじめまして。

光安丸は(1)のままで(2)を書いていませんが
掲載する写真だけ、先に紹介します。
http://iso-ya.com/today/2011/01/2011-01-01a.jpg

とても懐かしい話ですね、私の父親が出光興産のタンクロ-リ-に
乗務しておりました。父が今はビルになった入船舘に住み込んで
働いていたころをいまでも懐かしそうに話します。
私も父のタンクロ-リ-乗ってよく仕事に付いていきました。
港湾道路が製材所だらけで、木屑が車が通るたびに舞い上がる光景が今でも鮮明に記憶しております。
今では父も私も他県に居りますが、西久保に住んで居たことをとても懐かしく思います。

私は父親が乗船していましたから断片的にでもい知っていて当然ですが、油槽所の隣にいた村松さんが、詳しく知っているのは驚きです。地元密着というか、よき時代だったように思います。

その昔近所に住んでいた、小学生の私はちょくちょく光安丸に遊びに行かせてもらいました。
第拾五光安丸(十でないところがこだわりです)。姉妹船の一回り大きな第拾光安丸。白鷹丸もたしかありました。

今で言うところの鉄ちゃんに近いかもしれません。
拾五は船体中央部を継ぎ足して全長が長くなっていることも知りました。
ウォーターブレイキ(船首部の水切りの防波板)が滑らかな2段の曲線で。。。煙突の周りのベンチレーターの形が拾と拾五は違ってね。。なんて書いても船のことをご存じない方にはさっぱりですね(笑)

そうそう近所の駄菓子やさんの経営するアパートには乗組員の家族が住んでいて、一つ年上でじゅんこちゃんというおねーさんがいました。かわいかったな~。。

港湾道路の海側まで一杯に丸太が置いてあった時代の話です。

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