あんこのふるさと興津

「興津承元寺町出身の北川勇作さんが、明治時代、あんこを作るための磨漉機や煮炊釜、豆皮分離器を発明して、同郷の内藤幾太郎さんと共に日本の製餡業の基礎を築いたんだ。八幡神社の入口に、二人の功績をたたえる碑があるよ。」(寒ざくらまつりの案内チラシ)
興津承元寺町、八幡神社の入口にある製餡発祥の碑を訪ねた。
国道52号線に入り、東名高速の下を過ぎると「承元寺入口」と書かれた信号がある。右折し、一車線の八幡橋を渡る。承元寺町は興津川左岸にある。橋を渡ると真新しいステンレスの案内表示が目に入る。左折でゆるい坂を登り始めるとすぐに15分団の建物が見える。分団の裏に承元寺公民館があり、その横を入ると一番奥に八幡神社の鳥居が見える。

鳥居の前にある頌徳碑は左が北川勇作氏、右が内藤幾太郎氏
承元寺公民館横の狭い道を進むと鳥居と、それを挟むような左右の石碑が見えた。八幡神社の木々の高さと二つ石碑が圧倒的な存在感を持って鎮座している。
左側に北川勇作氏頌徳碑、右側に内藤幾太郎氏頌徳碑。どちらも昭和12年に建立され、大きさも同じである。それぞれの石碑の前にはステンレスで作られた碑文の案内がある。平成18年に作られた説明板は真新しく、冬の日差しに輝いていた。

昭和12年に建立された北川勇作氏の頌徳碑(右)と、平成18に年に作られたステンレス製の頌徳碑解説(左)
八幡神社の境内はきれいに掃き清められていた。本殿の後に神社全体を覆うかのような楠の大木がある。幾重にも別れた太い枝が天に向って葉を広げ、日差しを遮っている。初めて訪れた緊張感からかもしれないが、荘厳な雰囲気に圧倒される。

神社の裏は崖になっている。ご神木と思われる巨大な楠の木が周囲を圧倒する。
興津の承元寺町に生まれた北川勇作氏は機械による製餡技術を確立し、大量生産への道を造った。内藤幾太郎氏は、北川氏を援助しながら自分でも開業し成功を収めた。さらに大日本製餡組合の創立発起人となった。日本の製餡業界は、この二人が興したと言っても過言ではない。
頌徳碑に記されているように、北川勇作氏は農家の次男である。家督は長男が継ぐ時代だから次男、三男は職を求めて都会へ流れた。東京の製餡所で働くなかで、機械化を店舗を広げる才覚を養った。優れた技術者であり、経営者でもあった。

神社の杜を抜け鳥居をくぐり、再び頌徳碑を見上げてみる。黒い巨大な石板は「2001年宇宙の旅」に登場するモノリスのようだ。
頌徳碑の裏側には寄贈した全国の製餡業者の名前が記されている。「常に後進を指導援助し今や後進の独立営業するもの全国に百数十人の多きに至る」と書かれているように、その多くが北川を名乗っている。暖簾分けで広がっていたのだろう。
二人の頌徳碑がある八幡神社から川沿いの道を下流に向って進むと、薩埵峠へ向う山道の案内看板があった。
由比から薩埵峠を越え、興津に入る。そこから少し北上して八幡神社に参拝し、「あんこのふるさと興津」を知り、それから興津駅方面に向う。寸胴焼きや、鯛焼きを食べながら先人の苦労を偲ぶ。そんな散策ルートがあっても良いような気がした。

北川勇作氏頌徳碑
(日本製餡業界の大恩人)北川勇作氏は北川源左右衛門翁の次子で明治十一年四月二十一日、静岡県興津町承元寺に生る。小学校卒業後、農業に従事するも生活の向上を決意し明治三十二年九月、二十一歳で東京中養堂製餡所に職工として勤務し刻苦して製餡の法を究める。
明治三十三年十一月、意を決して自ら製餡所を大阪市南区日本橋三丁目に起こす。創業に際し、資金乏しく困難に遭遇するが、ついにそれを克服し、大正五年までに天満支店、京都支店、和歌山支店、岡山支店と順次開業し、発展を続ける。大正七年、一大工場を天王寺区北日東町に開業し本店営業所とする。
その間、北川式製餡磨漉機、北川式豆類煮炊釜、北川式製餡漂白機、北川式豆分離機を発明し特許を得る。而して同事業に成功し、日本製餡業界の覇者となったのである。
また常に後進を指導援助し今や後進の独立営業するもの全国に百数十人の多きに至る。実に北川勇作氏の美徳とするところである。
又、敬神報恩の念篤く、学校の建設、奨学資金、神社仏閣の造営その他、公共事業等に寄附を行い、社会に貢献する。しかし、こらから益々の発展の矢先、病魔に冒され、大正十二年六月六日、四十九歳にて病没する。
昭和十二年五月、大日本製餡組合員一同は製餡業界の先駆者で大恩人である北川勇作氏の遺徳を永遠に伝えんと欲し、承元寺院の所有地を譲り受け、承元寺区民の協力のより、ここ生誕の地に氏頌徳碑を建設したものである。
昭和十二年五月(頌徳碑の説明板からテキスト化した)
●「興津承元寺町・八幡神社」をALPSLABで見る
「あんこのふるさと興津」へ届いたコメント
84歳になる、実父と義父は元漁師と元百姓で、その違いのせいか食べ物の好みもずいぶん違うのですが、あんこは共通の大好物です。
それも年ごとに好物の度合いが高まっているらしく、同じような甘さでも、あんこが一番喜びます。幼いころから刷り込まれた嗜好のなかであんこは最上位に位置づけられているのかも・・・・
磯波 | 2008年07月19日
まさに近代製餡業発祥の地ですね。より高度な衛生技術が求められる今日、培った伝統技術を生かしさらなる発展をとげています。いまや海を渡り豆=食事の文化である欧米でもスイーツとして餡が出回っています。日本の欧米化の波で食の多様化の中、洋素材の餡も誕生し今もなお進化し続けております。
あん | 2008年07月17日
新聞記事では「製あんのふるさと」と書いています。
厳密に書けば「大規模製あん業創始者の生まれ故郷」となるかも。
あんこに縁があることには違いありませんので
「あんこのふるさと」でいいのだと思っています。
磯波 | 2008年01月28日
あんも清水が発祥ですか、現在の桟瓦も清水が発祥ときいてますが
成功する人は別のところが多いようです。
継続は力なり!
神田町 | 2008年01月27日