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2007年11月19日 祭

魚座本町

西宮神社

おいべっさんの祭りを知らせる西宮神社のポスターには「魚座本町」と書かれている。

魚座本町について、友人のサイトに、彼の友人から教えてもらった説明が紹介されているので、これを引用させて頂く。

江戸時代の清水湊(みなと)といえば今のような海に面した外港ではなく巴川の河口付近を指したのだそうだ。港橋たもとから上流に向かって続く現在の本町や上町の川沿いには、大阪夏の陣に功あって駿河湾の独占権を得た廻船問屋が軒を連ね、美濃輪町に向かっては商人の町が急速に発展した

西宮神社より100メートルほど巴川を遡ると「上総(かずさ)稲荷」という小さな祠があり、その場所はかつて武田信玄の重臣馬場美濃守(ばばみののかみ)が築城した袋城のあった場所だとされている。

最初、西宮神社のある辺りに魚座(魚市場)があったのだが、御神体である水蛭子大神を祭るようになって、魚座(市場)は上総稲荷の場所に移されたらしく、最初の魚座があった場所を本魚町(もといまち)、次の場所を新魚町、その先を袋町と称し、地元の者はあわせて魚座三町と呼んだのだという。
(清水目玉焼き「よじれ撃ち清水ノート…54【ちちろ鳴く頃】より)


定期的な座(市場)の歴史は鎌倉時代に遡る。米を扱うのが「米座」、魚を扱うのが「魚座」である。室町時代になり新田開発や生産力の向上は貨幣経済を広め、市場が増えていった。街道が整備され、さらに交易が広がった。市場は流通の要となり、富が生み出されていった。

市場が発展するなかで、流通や支払いを統制し商取引を円滑にすすめるための役割を担う「商人司(しょうにんつかさ)」が登場する。市場の売り上げから上納金を大名や領主に納め、その見返りとして保護を受けたという。

「町名の由来」(静岡新聞社刊)によれば、魚座三町は江戸時代、「肴十分の一」と呼ばれた漁業運上金(営業税)を幕府に上納し、魚の取引を仕切っていた。江戸時代、巴川の河口周辺から東海道は天領だった。

●関連ページ 「郷土の所領」 ≫

縁起物を売る店

清水は東海道の宿場町だけではなく、清水湊(みなと)を起点にして甲州や身延への物流拠点として発展してきた。港橋際にある西宮神社は、交易に関わる人たちの地勢的中心、さらに地域の絆を深める信仰の中心になっていたのだと思う。小さな祠にたくさんの歴史が刻まれている。


夕暮れ時の巴川を見ていると、昔の時代にタイムスリップしたような気分になる。こんな気分になるのも、おいべっさんの御利益かもしれない。

夕暮れの巴川

●「西宮神社」をALPSLABで見る35/0/15.834,138/29/34.54


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