8月15日の「港まつり」

8月15日、お盆の送りと「港まつり」を見るために、両親が生まれ育った西伊豆に出掛けた。
もともとは秋に行われていた祭りだったが、サンマ漁を始めるようになり、秋の漁期と重なるため、祭りを夏に行うようになったという。
遠洋漁業と鰹節で栄えた村の人口は最盛期の三分の一になってしまった。祭りを支えてきた青年団が解散し、今年の開催が危ぶまれたという。しかし、これまで青年団が担っていた役割を中学生が肩代わりするなどして、例年通りの開催が実現した。裏方の苦労に頭が下がる。

幼い頃の記憶だが、祭りになると、白地の船体にオレンジ色が操舵室を帯のように巻いた鰹船や鮪延縄船で港が埋まった。港の真ん中に一隻の鰹船が錨を降ろし、そこから花火が打ち上げられ急峻な山を背にした小さな港に花火の音が響いた。
時代の流れに逆らえず鰹船も鮪船も消えたが、花火は昔と変わらない迫力だった。
何時間も前から場所取りをする苦労もなく、本家から徒歩数分で、寝そべってみることができる。打ち上げ場所から数十メートルしか離れていない場所だ。贅沢な花火見物である。

祭りの主役は屋台の「馬鹿踊り」である。ここでは、櫓のような曳き車を「山車」ではなく、「屋台」と呼ぶ。屋台の上で、太鼓に合わせて若者が、何かに憑かれたかのように手足を動かして踊る。
足を踏み外して屋台の下に若者が落ちた。見物人から歓声が上がる。上から何本もの腕が伸び、落ちた若者を引き上げる。太鼓と笛は、何事もなかったように鳴り響く。幼い頃の記憶と、同じ光景が目の前に広がる。
ここで使われてる「馬鹿」は、賢いの反対語とは少し違う。村では、普段の会話に「バカ」が頻繁に登場する。相手を叱責するときもあるが、「バカ、もっと強く曳け」「バカ、もっと急げ」というように、相手を激励する時にも使う。
気合いが入る時、「おい」「やい」「それ」という掛け声と同じように「バカ」が使われるような気がする。「バカ」の言われを古老に聞いたら「そんなこと考えたこともない」と笑われた。

花火大会の翌日、港では手漕ぎ船のレースが行われていた。小学生の部、中学生の部に分かれ、子ども達が櫓を漕ぐ。
もう30年も前のことだが、櫓を漕いだことがある。初めての体験だったが、見よう見まねで船が真っ直ぐに進んだ。面白がって漕いでいたら、手のひらの痛みで漕げなくなった。手を見ると、真っ赤に腫れていた。弁当箱のなかの大きな梅干しのような内出血だった。
翌日、土肥からの駿河湾フェリーで清水へ帰ってきた。
興津埠頭の沖でコンテナ船とすれ違う。数十キロしか離れていない駿河湾の対岸なのに、数時間前に見ていた、手漕ぎ舟が遠い異国の光景のように思えた。不思議な感覚だ。

●携帯電話で録音した「馬鹿踊り」のお囃子(for QuickTime)
花火大会の翌日、手漕ぎ船のレースで屋台のお囃子が演奏されていた。笛と太鼓は中学生だ。太鼓のリズムが「デンコデン」と聞こえる。親たちが「デンコデン」を呼んでいてたので、そう聞こえるのかもしれない。これも伝承なのだろうか。
「8月15日の「港まつり」」へ届いたコメント
私は田子が大好きです。そう思ってもらえるとすごく幸せです★
清瀬 | 2008年09月16日
清瀬さん、はじめまして。
私は田子で生まれ、清水で育ちました。
故郷を二つ持っている幸せ者かもしれません。
磯波 | 2008年09月16日
田子人の誇りです!田子大好き!
清瀬 | 2008年09月16日
私には「テッケテンテン、テケテン。テケンテ。。。」と聞こえました。で、どこかで「ソ~レ!」と入るのですが、その入る部分が分かりませんでした。
ヨットで学生時代に数回。結婚後も二度見ました。今から2~30年前の話ですが、襦袢や、シミーズ姿が印象的でした。今ならもっと刺激的な下着姿になっているのでしょうか。。(笑)
村松 | 2007年09月06日
田子のばか踊りをご覧になっていたんですね。確かに、「そ~れ」のタイミングは少し遅れるというかズレますね。
60年前には、父が青年団として太鼓を叩いてました。若者だけで暮らす若衆宿があった時代です。20年前のばか踊りは、屋台の上に若い衆が溢れんばかりに乗っていたのでしょうね。
沼津の大瀬で若い衆が船に乗ってばか踊りを披露する祭りが復活したとニュースでやっていました。派手な肌襦袢を着る、正統派のばか踊りです。
磯谷 | 2007年09月06日
田子のばかおどりは二十年ほど前に見ましたが、西伊豆囃子の太鼓に乗って入る掛け声の「そ~れ」のタイミングが最後までわかりませんでした。(笑)
村松 | 2007年09月06日