島崎のおいべっさん

昭和32年頃の写真だと思う。補助輪付の子ども用自転車に乗っているのが私である。撮影した父は35歳だった。
この写真を撮影した頃、私たちの家族は漁民会館の近くの社員寮に暮らしていた。そこに移る前、島崎のおいべっさんのすぐ横にあった家の離れを借りていた。母屋に暮していた大屋さんは、その後静岡に引っ越したが、不思議な縁で今でも付き合いがある。
西伊豆で生まれた私は、2歳になる頃に清水に来た。それから小学1年の夏休みまで、島崎で暮らした。浜田小までは、ごきげん横丁から新世界を抜け、電車通りを歩いて通った。日の出湯にもお世話になった。電車通りに面した小さな靴屋、豆腐屋・・・。
島崎タクシーの近くにあった写真屋さんを覚えている。白黒写真も、その写真屋さんに出したのだと思う。今は取り壊されたクラブみんくすの場所に、平和幼稚園とお寺があった時代だ。
昭和32年と同じアングルで写真を撮ろうとしたが、境内に駐車している乗用車があり、それは叶わなかった。境内は月極駐車場になっている。新清水や市役所に近い一等地である、有効活用は当然だろう。
白黒写真から半世紀が過ぎた。多少の変化はあっても、島崎のおいべっさんは変らない。幼い記憶を現実の姿として感じることができる。私にとって、島崎町は贅沢な町だと思う。

●「島崎のおいべっさん(西宮恵比寿神社)」をALPSLABで見る
「島崎のおいべっさん」へ届いたコメント
>黒塗りの高級車
「京稲」ですね。覚えてます。
道路から店の入口までがスロープになっていて(車寄せかな)
黒塗りの車が出入りしてました。店が廃業したのは随分昔ですが、入口のスロープは残ってました。今は、影も形もない駐車場になってます。
変わったとはいっても、島崎の界隈は昔の面影が残っています。
磯波 | 2008年07月07日
私は島崎町出身で貧乏恵比寿さんと呼ばれた神社でよく遊びました。写真を見てとても懐かしく思いました。他にも写真があったらまた載せて下さい!また、恵比寿さんより市役所寄りには料亭の「京ね」がありました!小さな頃は黒塗りの高級車が良くいっぱい出入りしていました!
ヒメナ | 2008年07月07日
以前もおいべっさんの事が書かれた時コメントさせていただきました。先日実家の母と電話で話した時丁度島崎タクシーの隣の八百屋さんの話が出ました。実家も移ってしまったので母もなかなか清水に行く機会が無く懐かしがっていました。「鶴瓶の家族に乾杯」は懐かしい清水弁と暖かい清水の人々を見る事が出来、嬉しかったです。東京在住の友人に番組見てね!とメール送ったら彼女の近所にも清水出身の友人がいていつも清水、清水とうるさいそうです。清水出身者は清水が大好きなんでしょうね。
robe de anjo | 2007年02月06日
黒豹さん、今年もよろしく。
さて、昨年の秋に、父の昔からの仕事仲間たち数人が集まって同窓会のような集まりがありました。みんな高齢なので宴会じゃなくて、茶飲み話です。そこで、島崎タクシー隣の八百屋が、今はどうなっているのだろうかとか、島崎の話題が随分と出たようです。
そういえば、踏切の所に持ち帰りの牛丼店がありましたよね。私の記憶では清水で最初の、あったか持ち帰り弁当だったような気がしています。ホカ弁黎明期の記憶です。
磯波 | 2007年02月01日
あけましておめでとうございます。
島崎町在住の黒豹です。久しぶりの「おいべっさん」登場に心が躍りました(笑)写真は白黒ですけど、全然昔を感じませんね。それはやはり本殿が変わっていないからでしょうか。今の駐車スペースの所に昔はブランコがありましたよね。島崎タクシーの近くの写真屋さんは「清見写真」でしたね。その隣のラーメン屋さんのラーメンがすごくおいしかったのを覚えています。ごきげん横丁も新世界も昔ほどの賑わいは無くてもまだ残ってますし(^.^)島崎から出られません。困ったもんだ・・・(^_^;)
黒豹 | 2007年01月31日