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2006年12月16日 まちの思い出

秋葉山のにぎわい

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五差路信号から、さつり通り方面を見る。植木の店が減ったことを残念がる声を聞いた。

年配の方と秋葉山の祭の話をしていたら、サーカスのオートバイが面白かったという思い出話になった。私も、秋葉山のサーカスといえば真っ先にオートバイの曲乗りを思い出すので、意気投合した。

オートバイの曲乗りは、鉄製の網で覆われた巨大な球形のなかに、オートバイに跨った人が入り、球形の内側を360度回転するものだ。エンジン音の高鳴りと、反動をつけながら地球儀のような金網のなかを回転するオートバイは迫力があった。エンジン音と、それに負けずと叫び続けていた司会者の声をまだ覚えている。

オートバイの曲乗りは、大人にも子どもにも強烈な印象を与えたようだ。

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小学生の頃、秋葉山はクリスマスより楽しみだった。

クリスマスには家でケーキを食べたり、おもちゃを買ってもらったことも覚えているが、それは家の中での楽しみだった。

秋葉山の祭りには友人達と徒党を組み、本殿の上から電車通りまでを何度も歩いた。露天で品定めし、どれにするか迷いながら自分の財布からお金を出す楽しみがあった。財布のなかに大金が入っているはずもなく、残った小銭の枚数を確かめながらの買い物だった。

そんな楽しみは、今も昔も変わらないと思う。金額の違いは物価の違いだろう。違っているのは、近所の祭り以外の楽しみが、今の子どもたちには有り余るほど与えられていることだ。

今年の祭りは、天候や曜日に恵まれ人の出が多かったような気がする。ただ、見せ物小屋が来なかったせいだろうか、花火の音がいつもの年より大きく聞こえた。


昭和55年12月1日に発行された清水市広報紙「まちの思い出」に、西久保の中村好高さんが「秋葉まつりのにぎわい」を語っている。昭和初期には、臨時列車が停まり、サーカスが五つも六つも掛かったという。

当時の様子を覚えている人が、少しだけ羨ましい。

まちの思い出

まちの思い出

 秋葉祭りのにぎわい

   西久保  中村好高(六十五歳)

 秋葉山のお祭りは、東海の三大祭りのうちの一つでね。火の神さんを祭ってあるので、火を使う商売の人たちが大勢お参りに来ましたよ。

 昭和の初めごろは、一年の最後のお祭りということで、日本国中から露店商が集まって来たり、臨時列車が出たほどです。

 そのころは、矢倉さんの辺りは、まだ家もなくさみしいところでしたが、この日ばかりは、まといを持った人や参拝する人たちで、随分にぎわいましてね。

 わたしが子供のころ、サーカスが一度に五つも六つも掛かり、半月も前から小屋掛けを始めたんですよ。象や馬が何頭も未てまして、学校の帰りに、それを見るだけでも楽しかったですね。それに、お祭りの日は学校も半日でしたし、サーカスを見たり、露店をのぞいたりして、夜中の一時ごろまで遊び回ったもんですよ。(昭55・12・1号)


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「秋葉山のにぎわい」へ届いたコメント

「よそ行き」とか「晴れ」なんて言葉が辞書のなかでしかお目にかかれない時代になってしまったようですが、祭りの時の穏やかな顔を見ていると、「そんなに変わってないかな」という気にもなります。

「まちの思い出」のように清水弁で話したものは味があっていいですね。これを企画した旧清水市の広報担当者の方達は名誉市民として表彰もんです。ほんとに・・・・。

今年もあと一週間。次は初詣の笑顔ですね。

 写真の人たちの表情が楽しげで、お祭りとは縁遠い生活をしている私でも、また、行きたくなりました。「まちの思い出」もあわせて読ませていただきました。今は、お祭り以外にも一年中いろいろイベントがあって、贅沢になってしまっているから、お祭りといっても、あまり特別じゃないかもしれませんね。でも、あの秋歯山のお祭りに、象が来たなんて、昔のほうが、普段何もない分、豪華だったんですね。
 そうそう、この、「まちの思い出」で思い出しました。
文語体ではなく、清水弁がそのまま載っているので、私の母親は、
内容も、文章も面白いと言って、毎回声に出して、感情まで込めて
読んでました。

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