45年前の航空写真

現在の袖師小、袖師中の校区は、旧庵原郡袖師町だった。
1961年(昭和36)、興津町、庵原町、小島村、両河内村と共に清水市に吸収合併された。袖師町では、町の歴史を後世に伝えるため「袖師町誌」を編纂し、各戸に配布した。
「袖師町誌」に航空写真が折り込まれている。45年前の袖師、そして辻と江尻の写真だ。
写真の中央少し上にうねるように流れるのが庵原川で、河口から遠浅の砂浜が興津まで続いている。袖師海水浴場である。その歴史について、清水東高郷土研究部が「失われたリゾート・清水袖師海水浴場」と題したレポートを発表している。
航空写真にはいくつもの学校が写っている。袖小、袖中、辻小、一中、東高は直ぐ判ると思うが、よく見ると清水女子高(現清水国際高校)のグランドも写真の下端に写っている。この当時、清水工業高校はまだない。東名も新幹線もない。
袖師が街道沿いに家がつながっているのに対して、宿場町として発達した辻や江尻の密度がよく判る。

国道1号線、袖師公民館の近くから興津方面を見ている。「武蔵」という看板の右側に庵原川橋が小さく見える。奥に迫る横砂の山を見ながら、次郎長は江尻から庵原川に向かったのだろう。
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「45年前の航空写真」へ届いたコメント
食堂やスタジオはずいぶん前に無くなっていると思います。15年前には、もうありませんでした。
今から思うと、贅を尽くした校舎でした。東京オリンピックの数年前に、小学校でテレビスタジオを持っていたのですから。雨が降ると、テレビ朝礼で校長先生が挨拶したのを覚えてます。
スタジオがあった本館の2階の部屋は、パソコンルームになっているみたいです。
本館1階の海側の保健室がありましたが、今は学童保育のコアラクラブが使っています。
磯波 | 2006年07月16日
えっ!食堂なくなってしまったんですか?
あんな上級生と下級生のコミュニケーションできる場なんかないのに!
スタジオはどうなったのでしょう??
青木 | 2006年07月16日
「1キロメートルを体験する」というのは面白いですね。
当時の袖小にあった食堂では各学年から、ひとクラスが集まって、会食をしたのを覚えています。椅子は低学年にあわせて小さめで、6年生にはちょっと窮屈でした。その食堂は、もうありません。
今は、辻小の校舎が新しくなって袖師の子どもたちは羨ましがっているのかも・・・・・
磯波 | 2006年07月09日
この写真を見て辻小の低学年(S37、8年)の頃の楽しかった授業を思い出しました。算数だったか社会だったか、「1キロメートルを体験する」と言う事で巻尺を持って学校からまっすぐ北に歩いていって、着いた先は袖師小の給食室の横でした。今でも あと1キロ という時は袖師小の給食室が浮かんできます。
給食といえば、袖師小には食堂があって給食もワンランク上なんだという、羨ましい情報が飛び交っていました。
実家が辻 | 2006年07月06日
トーネンの運河から江尻船溜りあたりを見るとまだ飛島がありませんね。
この後、遠洋漁業が栄え冷凍庫団地が立ち並び港は景気に沸いたが、その冷凍庫群も現在は閉鎖が相次いでいます。島崎側もHフーズの工場が今年いっぱいで閉鎖です。
江尻港はこれからどんな姿になってゆくのでしょう。
八 | 2006年07月03日
確かに「一葉橋」がありませんね。袖小は職員室のある本館が写っていますが、袖中の隣にあった東燃の4階建アパートは写っていません。袖中の体育館もないようです。辻小の校舎は今と反対側にあります。ここらへんの事情を調べると撮影年が判るかもしれません。
磯波 | 2006年07月02日
私の家にも「袖師町誌」がありますが読んだ事がありませんでした。これを機に見てみました。この航空写真は一番前のページにありますね。私の家が写っているかビデオカメラを使い、テレビに拡大して映してみると「一葉橋」がありませんでした。私も「一葉橋」も同じ昭和32年生まれですから、この航空写真はそれ以前の写真だと思いました。「袖師町誌」は昭和36年発行ですが、航空写真はいつごろか周辺から検証するのもおもしろいですね。
袖師周辺はしっかり写っており周囲に広がると少し歪んでいるようですがとても貴重な資料ですね。一枚の写真から他にもいろいろ知ることができました。
嶺の子 | 2006年07月02日