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2005年10月31日 袖師

蛍の街道

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袖師小学校の通学路で、西久保の石ヶ谷セメントからバンダイ、そして柴田内科に通じる狭い道がある。

上の写真の左側に鉄板で蓋をした部分がある。この下に川が流れている。川というより排水溝なのだが、今から40年ほど前、昭和30年代には、この川に蛍がいた。

当時は愛染川がそうだったように、コンクリートで固められてはいない。童謡で出てくるような、小さな川だった。川の傍には畑があり、トウモロコシとサトウキビがあったのを覚えている。東京オリンピックの前だ。

清水市教育委員会が作成した副読本では、この道は「中世東海道」という名前がついている。頼朝の時代の東海道である。

柴田内科の所で民家に塞がれているが、その家の奥から、同じ方向に狭い道があり、矢倉神社につながっている。

中世の人たちも、ここで蛍を見たのだろうか。

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「蛍の街道」へ届いたコメント

上の写真では、道が民家で終わっているのですが、その向こうに宮下マンションが見えます。道は、マンションの東側(写真だと左側)に続いていまして、矢倉さんの裏側に出ます。副読本「清水のむかし・ガイドマップ」では、矢倉の辻の説明のなかで、この道は、こんな風に書かれています。『中世東海道は袖師小学校北側道路―柴田医院―宮下マンション―矢倉の辻を通ってました。鹿島神社前を通ってやがて両河内に至ります』
この副読本は、場所の説明を「スカイラーク西側踏切」などと極めて具体的に書いてますので、すごく判りやすいのです。

通学路ではなかったものの、よく通った道ですが、そういう故事来歴があったとは。サトウキビは確か三保で栽培していたという話を読んだことがありますが、西久保にもあったんですか。そういえば、かなり小さな頃、1回だけサトウキビをかじったことがありました。
今読んでいる明治の雑誌の寄付者氏名一覧に庵原郡袖師村柴田勝太郎という名前が出てきて、少しびっくり。

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