(6) 松原観音堂

袖師ふるさとの路、6番目は松原観音堂と津嶋神社である。
場所は、昭和49年の七夕豪雨で廃線となった静鉄清水市内線が複線から単線になる西久保停留所から、興津方面に国道の左側(山側)を歩いて数分だ。
袖師町誌によれば、静鉄の静岡清水間が開通したのは明治41年(1907)。
清水市内線は、それから21年後の昭和3年(1928)に、新清水(相生町)から港橋が、翌年に横砂までが開通している。
当時は、新清水から庵原川までは国道の中央を走っていたが、昭和28年(1953)の道路改修で、線路は国道を外れ、西久保から大きく曲がって横砂へ向うことになったという。
冊子「ふるさとの路」での解説
「西久保の国道山側の小堂で創立年月は明らかでないが、徳川時代東海道の松並木が続いていた頃、造られた辻堂の類であろう。江戸時代は、庚申堂で天明年間如意輪観音を合祀した。明治の初年改築され、昭和20年戦災焼失、昭和21年復興した。
松原観音堂の入口東側に津嶋神社の小祀があり、天王様と呼ばれて、明治時代には毎年麦藁で1メートル四方位の神殿を造ってお祭りをし、珍しい行事として知られていた。
なを、境内に一等水準点がある。袖師地区には、あと二ヶ所水準点がある。いずれも国道1号線の歩道上。左のような看板は立っていない。」
「ふるさとの路」は1997年に袖師地区まちづくり推進委員会が編集発行した冊子で、袖師地区の歴史遺産をウォーキングをしながら知ることができるように1から41まで番号がつけられている。袖師地区の全戸に配布された非売品。●「(6)松原観音堂」をALPSLABで見る
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「西久保の国道山側の小堂で創立年月は明らかでないが、徳川時代東海道の松並木が続いていた頃、造られた辻堂の類であろう。江戸時代は、庚申堂で天明年間如意輪観音を合祀した。明治の初年改築され、昭和20年戦災焼失、昭和21年復興した。
「(6) 松原観音堂」へ届いたコメント
そういえば、池寿司のあたりから道幅が異様に広くなっています。嶺駅だったのですね。
その頃は国道と言っても、未舗装ですから、電車が通るたびに砂埃を巻き上げていたみたいです。東京オリンピックの少し前まで、西久保でも馬車が普通に走っていたのを覚えてます。
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磯波 | 2005年05月12日
国道一号線の庵原橋の清水寄りの、不自然に道幅が広いところが「嶺駅」の跡ですよね
薬局の末息子 | 2005年05月12日