知的生産の技術

午後11時過ぎから放送される「NHKアーカイブス」という番組がある。NHKのドキュメンタリーやドラマの再放送に加賀美幸子アナの解説がつく。どの番組も、日本の現代史を記録した優れたものばかりで、ついつい夜更かしをしてしまう。
先日、「家族 大いなる記録~冨岡家8万枚の肖像」という番組が放送された。1984年に放送されたドキュメンタリーである。
藤沢市に住む冨岡畦草さんは、1952年から銀座や日本橋など定点を決め写真撮影を続けてきた。それは、復興から高度成長へ、日本の変化を克明に記録した貴重な資料となった。そして、もうひとつ、長女が生まれた日から29年間、毎日撮り続けた8万枚にのぼる写真がある。
番組を見た後で、梅棹忠夫著「知的生産の技術」を読み返したくなった。「ものごとは記憶せずに記録する」という著者の言葉を思い出したからだ。
「記憶というものはあてにならないものである。どんなに記憶がすぐれた人でも、時間とともに記憶はたちまち色あせて、変形し、分解し、消滅してゆくものなのである」
だから、記憶の欠陥を補うため、「こまめに記録をとることに努力する」と、著者は説いた。
「知的生産の技術」をきっかけに、カードやスクラップを始めた人は多いと思う。野口悠紀雄氏の「超整理法」も興味深く読んだが、最初に出会った本のインパクトには叶わない。
今年になって、A4ノートを使った整理法を始めている。流行語風に言えば、オレ流である。
いろいろな会合で配布されるレジュメや資料のほとんどはA4サイズなので、ノートの左側のページに糊で貼り付けてしまう。字を書くのは右側のページだ。
資料が数枚なら重ねて貼り付ける。こうすれば、A4サイズのファイルを別に持つ必要がない。貼り付けた資料はノートから少しはみ出すので、赤で印をつけるとインデックスにもなる。
「知的生産の技術」に触発され、いろいろと試行錯誤を繰り返し、「技術」については改良を加えつつあるのだが、カンジンカナメの「知的生産」は、いまだに彷徨い続けている。
ノートは、極太横罫を使っている。1行が10ミリなので、行間に余白があり後で読み返す時に楽だ。しかも、モノサシの代わりにもなる。シャープペンは0.5ミリと0.7ミリを使い分けている。普段は0.5だが、電話をしながらのメモや会議の記録は、0.7の方がラフに書ける。芯はBを使う。