●これまでの合併の歴史を知るための資料

    興津三十年誌

92年3月発行
編集・興津地区誌編集委員会
発行・興津地区町づくり推進委員会

     三十数年前、一つの小さな町が消えた。その時、町の人々が何を思い、何を心に刻み込んだのか、私たちには計り知れない。
     古い歴史のある町で、山や川、海の豊かな自然に恵まれ、農業も漁業も工業も商業も観光もそれぞれに盛んだった。

     昭和三十二年に県から合併勧告が出る。住民のほとんどが反対であったにも関わらず、合併の話は進められた。

     そして、昭和三十六年「清水市興津町との合併に関する協約書」が交わされた。

     この本は市立図書館で見つけた。清水市と興津町の合併三十周年の記念事業として、町づくり推進委員会の中に町誌編集委員が委嘱され、三年の歳月をかけて発刊されたものである。

     「合併後の興津地区誌、特に合併時の諸問題を取り扱う」ということで、合併を前後する動き、その後の三十年の興津の激変が書かれている。

     編集後記には「興津の合併はいったい何であったのであろう。その苦労や解決は十分理解されたか、振り返ってみたい」とある。詳細な合併を巡る詳細な記録、協約書で交わされた事が現在守られていると言えるのか、あらゆる課題が、そして諸団体の活動が詳しく述べられている。

     興津の人々にとって清水との「合併」は過ぎ去ったことではないのだろう。静清合併の議論が進みつつある今、多くの市民にこの本を読んで欲しい。そして、七百五十五頁のずっしりとした重みを受けとめていただきたい。(C)



    清見潟・第八号

98年5月15日発行
編集発行・清水市郷土研究会

     清水市郷土研究会の「清見潟」(第八号・九八年五月十五日)に「清水市制と反対運動」という土屋重朗さんの文が書かれています。

     大正十三年に安部郡入江町、清水町、不二見村、三保村と庵原郡江尻町、辻町が合併して清水市ができました。その時、市ができることに反対する運動が昭和五年まで七年間続けられました。

     税金の不払い、小学校への登校拒否をはじめ右翼団体も加わり、町内での集会が何度も行われるなど、全国にもない激しい運動がありました。

     江尻の人たちが、市のできることに反対する理由は、市の名前でした。「清水市」ではなく、昔からの宿場「江尻」から「江尻市」にして欲しいと言いましたが、認めてもらえなかったからでした。

     辻の人たちの反対理由は、市ができる前に入江町に辻町を吸収させると言われたからでした。

     江尻も辻も市当局に、町のためになるような条件を出して運動は終わりました。 小芝神社に何度も町民が集まったことなど、身近な地域で行われた話です。歴史が他人事でないと思いました。 (Y)

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興津三十年誌


【関連】 我が郷土おきつ・特別号


●清水市の合併年表

大正13年 (1924)

    江尻町・辻町・清水町・入江町・不二見村・三保村(四町二村)が合併。全国で101番目の市として「清水市」が誕生

昭和30年 (1955)

    清水市へ有度村が編入

昭和32年(1957)

    清水市との編入に反対した住民のとの調停が成立し旧有度村西部地区が静岡市へ編入

昭和36年(1961)

    清水市へ興津町・袖師町・庵原村・小島村・両河内村(五ヶ町村)が編入

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