≪ 初詣 | きょうの清水 | 山の子 ≫

2006年01月03日 白黒写真の時代

出航

defune2.jpg

年末に大掃除をしていたら、古いアルバムが物置の奥から出てきた。

十数年前、部屋の配置換えをした時に、仕舞い込んだままになっていたものだ。

大正生まれの父が、月給の何倍もしたというカメラで写した白黒写真が台紙に貼られている。幼い頃の自分と、若々しい両親の写真は、懐かしさを超えて昭和の記録を見るような気分になる。

そのなかに、清水から出航するマグロ船の写真があった。

defune1.jpg

私が小学校の頃、知り合いの船が遠洋航海に出る度に、家族で江尻船溜まりに出向いたことを覚えてている。

出航する前に、船に乗せてもらった。

岸壁を船とを結ぶワーフラダーは、手すりのない木製の足場板のようなもので、船の揺れに合わせてギシギシを音を立てて揺れた。私は、立って歩く勇気がなく、四つん這いになって恐る恐る歩いた。

船では、どの人も明るく笑っていた。航海に危険は付き物だが、戦場に出向く訳ではない。豊漁を期待する出航は希望に満ちていたはずだ。

五色の紙テープをなびかせ、フルボリュームで流す歌は、都はるみの演歌と軍艦マーチだった。

0512fuji-ship2.jpg

子どもの頃、大人達が「あの頃はよかった」という話を聞くたびに、不愉快になった。

「あの頃」を懐かしがっても帰ってこない。不可能なことを語る大人達に、後ろ向きの人生観を感じたのかもしれない。

時が流れ、温故知新という言葉も知るようになった。そして、自分と親たちが生きてきた時代を、記録しておきたいと思うようにもなった。

今年は、「白黒写真の時代」というテーマで、我が家の記録を紹介させて頂く。


≪ 初詣 | きょうの清水 | 山の子 ≫

コメント

私は、小学校1年の夏休みに、島崎町(貧乏恵比寿の近く)から西久保に引っ越してきました。江尻の界隈の記憶は断片的なのですが、江尻船溜まりの埋め立て工事を覚えています。

上の写真で出航する船の右側に写っている煙突はご後藤缶詰(はごろもフーズ)ですが、そこから海側の埋め立てだと思います。

埋め立て工事が、強烈な印象だったのでしょうね、たぶん。

子供の頃の記憶ですが、清水の魚市場には大きなマグロがこっちの端から向こうの端(今の河岸の市の入り口)までいっぱい並んでいました。白くてカチカチに凍ったマグロではなく黒く光っていたと思います。身体が小さい子供の頃の記憶ですが2メートルくらいはあったのではないでしょうか。それとも子供の記憶で大げさに覚えていただけでしょうか。知りたくなりました。

出航の写真は昭和30年代の始め頃だと思います。

何度も見送りに行ったのですが、記憶のなかではひとつにまとまっています。

都はるみは昭和40年代の歌手なので、この写真の頃にはデビューしていませんが、出航風景の記憶には、都はるみが刷り込まれています。


清水の海員学校にいる二男坊に聞くと日本人の船員は絶滅危惧種だそうです。50~60歳台の船員がほとんどで20・30歳台の船員は非常に希少だとか。でも、国内輸送の効率でいう輸送トンキロ(輸送量×輸送距離)では海運が国内輸送の41%を占めると聞きました。船員に夢と希望があるとうれしいのですが。清水の皆さん、お世話になります!

今はマグロにどっぷり漬かっている僕だけど、遠洋船が江尻から出航する時代はおそらくまだ生まれていないので写真ではじめて拝見しました。
マグロは「赤いダイヤ」にたとえられますが、まさに一攫千金、夢と希望を乗せて漕ぎ出る勇姿がこの絵にあります。
現在は操業も合理化される中で船乗りも飛行機で現地へ飛ぶ時代になりました。日本人漁師では採算も合わなくなり「獲ってくる」のではなく「輸入している」現状です。

「昔のマグロは素晴らしかった」。ベテランの昔話をよく聞かされる。
乱獲が最大の原因と思うが最近は資源が激減し良質なマグロも確かに減っていることを感じる。冷凍技術が革新的に進み品質は向上してもいいはずなのにそれでも昔の方が素晴らしかったとは一体なんなんだろう?
「昔はよかった」そういう言葉を聞かされるたびに「せめて20年早く生まれていたらなあ」と悔しさがこみあげてくる。
そしてずっとその「幻」を追いかけてくすぶり続けている気がする。

江尻船溜まりの見送りが懐かしくて
何度も日記に書きましたが、
写真で見られるとは思いませんでした。
不思議なものでモノクロ写真でも
実際に見た光景だと色つきに見えますね。
この風景、昭和30年代前半かしら。

今後のDaily清水アーカイブス、
期待しています。

コメントを投稿

トラックバック

このエントリーのトラックバックURL:
http://iso-ya.com/blog/mt-tb.cgi/228