トロッコ橋

国道1号線に掛かる巴川橋のすぐ上流に、ピンク色に塗られた「坂政合板占用橋梁」がある。地元では「トロッコ橋」と呼んでいる。
巴川を隔てて、坂政合板の工場と資材置場が離れているため、トロッコがこの橋を走っていた。
今はフォークリフトに変わってしまったが、昔をしのばせるレールはそのまま残っている。
工場の資材運搬用の橋なのだが、地元の人が自由に渡ることができる。だから「専用」でなく「占用」という名前にしているのだろう。

輸入合板に押されて国内での生産はどんどん減少している。坂政合板は静岡県内で、唯一残っているメーカーだったが、経営難から生産を止めざるを得なくなった。
坂政合板と森林組合と協力して製品化した、国産の杉間伐材を利用した合板が話題になったのは昨年だったと思うが、今年の夏には操業停止の噂が広がっていた。
坂政合板の会社説明に、こんな一文がある。
「当社は明治41年創業以来、一貫して木材の高付加価値化に取り組み、木の持つ特性を活かすことを旨に、研究開発に取り組んでいます。現在合板の世界を取り巻く環境は大きく変化しています。環境問題の深刻化が進み、環境に配慮した商品の利用促進は、疑う余地のない流れとなっております。日本は世界有数の森林立国でありながら、森林が放置されています。静岡県も森林面積65%を占める森林県で、大切な森林を守るためにも県産材の利用は期待されています。当社では100%県産材合板を開発し、住宅部門の他、家具への利用に取り組んでおります。」
時代の流れといったら、それまでだが、地場の工場が苦労している姿を見るのは辛い。
●1974年7月7日の七夕豪雨で、トロッコ橋のあたりでは約2メートル水没し、大きな被害が出た。1999年に、総工費553億円をかけた大谷放水路が完成し、巴川上流での水害の危険は少なくなった。しかし、放水路の下流になる鳥坂で巴川と合流する長尾川の鉄砲水には無力だ。「早めに避難していただくしかありません」と語った人がいる。
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コメント
西久保にも、製材会社が健在ですが、子どもの頃には小さな製材がいくつもあったように思います。木箱の製造が盛んでした。今から思うと、この場所に機械があったなんで信じられないくらいの広さです。
少し前まで輸入合板は、安くておぞいというのが定説だったのですが、この頃は品質がよくなったと聞きました。日本のメーカーが技術指導してるのですから、いつかは国産と同水準、それ以上になるのは当然なんでしょうね。空洞化というのでしょうか、物は溢れているのに作り手の姿が見えなくなっています。これから先、どうなってしまうのだろうかという不安を感じます。
磯波 | 2005年10月15日
巴川付近へはたまにしか行かなかったのに、いかだを曳いた船が遡る光景をよく見かけました。三十年前の学生時代、長崎にある合板会社でアルバイトをしたことがありました。木材関係は清水の主要な産業のひとつでした。
嶺の子 | 2005年10月13日