裏山の記憶

西久保の氏神様である鹿島さんの裏に広がる小さな森を抜けると、山原、龍爪の山々が目の前に広がる。

鹿島さんと秋葉さんの森は新幹線の線路で分断されてしまったが、それ以前は、子どもたちの冒険心を満足させてくれる王国だった。
森は昼でも薄暗く大人の姿が見えない世界だった。だからと言ってヤバイ遊びをしていた訳でもない。せいぜい2B花火を解体して、火薬を集め特製爆弾を作っていたくらいだ。火傷はしたかもしれないが、病院騒ぎになった記憶はないので、ごくごく健全な遊びだった。
鹿島さんの裏山の山頂には古墳があったが、太平洋戦争中に高射砲陣地が造られ遺跡は残っていない。今は三角点の標識があるだけだが、古墳と高射砲のことを記した説明看板が置かれている。
今は痕跡すらないが、防空壕もあった。火薬遊びが大好きだった少年たちも、防空壕には近寄らなかった。なんとなく恐かったからだ。
秋葉さんの祭りに白い装束を着た傷痍軍人が来ていた時代である。まだ、至るところに戦争の記憶が残っていた。
【写真上】森の道は距離にすれば数十メートルだが、子どもの頃は目の位置が低かったせいか、今の何倍も迫力があった。
【写真中】手前のグランドは県立清水工業高校(キヨコー)。野球部が練習をしていた。清水工業も、静岡工業に統合され、柚木に移転することが決まっている。
写真中央に見える水色のタンクは水道用で東名清水インターのすぐ横にある。タンク右に見える大きな建物は清水厚生病院。庵原に移転する前は田町にあった。田町の前には清水駅前にあったことを覚えている人は少ないかもしれない。
【写真下】三角点の標識がある場所に高射砲陣地があった。
コメント
神明さんから鹿島さん、秋葉さんの森の周辺は、古代から人々が暮らしていた場所で住居跡や釜の跡などがあったそうです。神明山の一部が宅地開発で壊されるため開かれた遺跡の説明会に参加しましたが。発掘現場を見るのは初めてで、しかも身近な場所でしたので嬉しかったです。あれから数ヶ月、遺跡の跡は更地になってました。
磯波 | 2005年09月28日
鹿島さんの山は鶯宿梅酒造の方まで続いていて、そこから西に折れて、インターの前で終わっていますよね。鶯宿梅の西にある丘は稲荷さんがあって、物をなくしたらそこにお参りすればいいという話がありました。その丘は子供心には、こちら(西久保)とあちら(清水工業とその向こうの飯田)の心理的な境になっていて、そこを越える小さな道が、石畳ではないですが、なにか土器のようなものが敷いてあって、何とも不思議な雰囲気で好きでした。
原の子 | 2005年09月28日
小学生のころ西久保の友人と鹿島さんの裏で遊んだことを思い出しました。昭和四十三年頃です。現在は、住宅地になっている所は、当時、山を削った崖になっていて登ったり、降りたり、時には落っこちたりしていました。その頃土器か、貝の化石が出ていたような記憶がありますが今となってははっきり思い出せません。
嶺の子 | 2005年09月27日