帰属意識

清水市教育協会が作成した小学校の副読本「清水のむかし」によれば、鎌倉時代に源頼朝によって制定された中世東海道は袖師小学校北側道路~柴田医院~宮下マンション~矢倉神社へと続く。中世東海道は、現在の北街道である。
中世東海道沿いにある柴田医院は、現在は内科だが、先代は産婦人科だった。蔵と共に木造の病棟が残されている。
柴田忍氏が最後の町長となった袖師町は、町としての歴史は短かった。昭和23年に村から町へ移行し、昭和36年に清水市に吸収されるまで、13年間である。その間に4回の町長選挙が行われた。
町制に移る前の袖師村は、明治22年に横砂村、嶺村、西久保村が合併して出来た。村時代と町時代で約70年。清水市時代を加えると100年を越えるが、三つの村への帰属意識は薄れていない。今だに、自治会は村単位で構成されている。
強い帰属意識は郷土への愛着だが、時として他所者を排除しようとする。地元を大切に想う気持ちに、古いも新しいもないと思うのだが、難しい現実を感じることがある。
道路の右側が柴田家の蔵。その奥に、今は使われていない産婦人科の木造病棟がある。道路の左側は県立高校の教員住宅。この狭い道路が、西久保5区自主防災会の一次避難場所になっている。
コメント
小生はここの木造病棟で生まれたらしいです。以来、高校卒業まで全部西久保村内で済ませていたので、半径1キロ、コンパクトな人生でした。確かに村意識は、良いときもあれば困ったときもあり、難しいものです。ある時、母親が、ここよりも××の方が村意識がきつくて近所づきあいが大変だと自慢していて、これには笑ってしまった。
丹後ディスカバリー | 2004年12月10日