≪ 田町 | きょうの清水 | 帰属意識 ≫

2004年12月09日 辻

真空管

ユニオン無線

家の近くにあるユニオン無線には、中学の頃によく出かけた。

学校でラジオを自作する授業があって、それをきっかけにラジオやアンプの自作が流行った。トランジスタもあったが、真空管の時代だ。ラジオのチューニングにつかうキャッツアイの緑が綺麗だった。

流行ったといっても一部の生徒だけだったが、私もそのなかにいた。

自分でパーツを買い求め、好きなものを作る授業というのも、今から思うと、かなり大雑把なものだったが、自由に作れるのは魅力だった。

みかん自分で回路図が引ける訳もなく、雑誌の実物大回路図の通りにパーツを集め、半田付けするのだった。パーツ類はユニオン無線で買った。

ワッシャーが足りなくなって、5ヶだけ買いに行ったこともあった。駄菓子屋の飴玉より安い値段にも関わらず店のご主人から丁寧に応対していただいた記憶がある。

店に通った仲間たちの多くは、アマチュア無線の世界に進んだ。その後の進路はさまざまだが、ユニオン無線がなかったなら、別の道を選んでいた人も少なくないと思う。

あの頃から30年以上経った。

外から見ると店は昔のままに商いを続けているようだが、時代の変化を柔らかく受け止めているのだろう。継続は力なりという言葉があるが、継続は宝でもある。


ユニオン無線の南側にある倉庫も、その隣にある市営団地も昔のままだ。団地の庭に蜜柑が色づいていた。

≪ 田町 | きょうの清水 | 帰属意識 ≫

コメント

中学生が扱えた真空管は50EH5や12AV6といった細めの管で、6V6のような太いやつは憧れで終わってしまいました。そのいとに自作ラジオは、どうしたら感度を上げることができるのかという方向にすすんで、行き着いたのはカーラジオでした。農協の西久保支所の近くにあった解体業者から、鳴るかどうか判らないラジオを500円で買ってきて、直流12Vの電源を作って、夜な夜なニッポン放送を聞きました。カーラジオの感度はビンビンなのです。

僕は、結局、あまりの不器用さにゲルマ・ラジオから進化できず、器用な友人達が真空管ラジオを作るのを横目で見ていました。その欠乏体験のせいか、いまだに真空管アンプが欲しくてならないですね。

コメントを投稿

トラックバック

このエントリーのトラックバックURL:
http://iso-ya.com/blog/mt-tb.cgi/53