ISO NOTE

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江尻船溜まりから見る富士山

サブタイトルの「Kite go kite go A jyanca」は昭和30年、若杉雄三郎作詞で発表された袖師音頭の「きてごーきてごーえーじゃんか、袖師、袖師でえーじゃんか、おまっちゃなにした なんとしょのしょー」から拝借した。

 ATOKで「しみずし」と入力し、変換キーを押すと『清水市《「合併→静岡市」》』と表示され、平成の大合併で清水市という名前が無くなったことを教えてくれる。

 新しい選択への評価はさまざまで、合併で良くなったこともあり、その逆もある。良かったことのひとつに、自分や友人たちが「郷土意識」に目覚めたことがある。大きな街に呑み込まれてしまうことへの心配が、自分たちが暮らす「ふるさと」を見つめ直すきっかけになった。もしかしたら、このことが合併の最大の功績かもしれない。

 自分のなかに芽生えた郷土意識のはけ口として、「きょうの清水」を始めた。ISO NOTEは「きょうの清水」に書ききれなかったことを、掲載しようと思う。「編集後記」というより、「別冊」のような気分かもしれない。

江尻船溜まり

この写真は昭和30年代に父が撮影したマグロ延縄船の出港。右側に見える煙突は後藤缶詰(現はごろもフーズ)。その右にあるヤグラのような建物は漁船に氷を積み込む製氷設備。この時代に比べたら、魚と油とペンキの匂いは薄くなったが、私にとって清水を代表する景色であることに変わりはない。

江尻船溜まりから見る富士山

賀茂郡西伊豆町田子。鰹節の伝統製法「本枯れ節」で名高い「田子節」の産地。この写真を撮影した場所から、小さな岬をひとつ越えると「夕陽の名所」大田子海岸に出る。父が大正13年、母が昭和元年、ここで生まれた。二人の実家は徒歩数分の距離だ。私が生まれた昭和27年、父は鰹一本釣り船を降り、清水の出光興産袖師油槽所の社員となり、小型タンカーに乗った。そして、私が2歳の時、家族揃って清水に引っ越した。田子と清水、ふたつの故郷を持っている幸せ者である。

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2012年1月1日  磯谷臣司